巨石や巨木などの自然物を神の依代(よりしろ)として崇敬した神社形態が整う以前の古い祭祀の名残りをとどめる県内では例の少ない信仰史上極めて価値の高い祭祀遺跡である。 1988年秋、哲学者・梅原猛先生が徐福のシンポジウム調査のため金立神社に来られた時、湧出御宝石を見て、「陰陽の考えのある中国の神仙思想」がこの中にあると一目で徐福伝説を信じられました。「これに相応しい陰石があるはずだ」といわれ、上宮より50m程下がったところに、どんな旱魃の時もきれいな水が湧き出ている大きな石があり、これではないかと神社の総代が案内した。これぞまさしく陰石とうなずける石の割れ目から水がにじみ出ていました。土地の古老の話では、この神水をくみ取り、上、下宮の神社にあげている。戦争中は、出兵兵士の家に、武運長久を祈り一升瓶に入れて持っていったということです。土地の人たちはあまりにも巨大なその石の姿に、男女を表す陰陽石とは夢にも思わずに梅原先生の指摘に驚かれていました。
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