金立町の徐福伝説
千布(附千駄ヶ原) 源蔵松と源蔵屋敷
お辰観音 銀(白金)土井
投げ石 薬師丸由来とねばる
参考文献:村岡央麻「佐賀に息づく徐福」 佐賀民俗学四号
 
  ■ 千布(附千駄ヶ原)

 徐福一行が北上するに当たっては蘆原や、かや原や草原、潟、江湖が行くその道筋の歩行を困難にしていた。そこで布を敷いて通ったが、ちょうど千布まで来たとき、千反の布を使ったので「千布」と称するようになった。また、この使い古した千反の布を千匹の駄馬にのせて熊山から谷合を登り今の千駄ヶ原に運び此の地にこの布を埋めたので、「千駄ヶ原」と名づけた。この地は終戦後開拓田となっていたが、現在廃村となり植林をしている。

 また、一説には、この千反の布を山へは運ばず、この里に塚を作って埋め、これを千布塚と名づけた。その後ここを千布の里と称し千布と呼ぶようになった。

 
  ■ 源蔵松と源蔵屋敷

 大字千布字東千布金立社(金立小学校西側)の北方三百米位のところ、県道西側に源蔵松がある。(現在は枯れたあとに幼松を植えている。)ここは昔、徐福一行が金立山への道を探して、その案内役を求めて、百姓源蔵を発見した所といわれている。(源蔵は当時の豪族で当日は此処らで野良仕事をしていた。)徐福の願いによって案内役をつとめた。

 この記念のためこの地に松の苗木を植え、これを源蔵松と称した。この松は明治26年の台風で倒れ、その後は度々、松の苗木を植えたが結着せず現在にいたっている。

 源蔵屋敷は字東千布金立社(金立郵便局)のすぐ近くにある友貞氏宅の一部と同氏所有の水田の一部がそれであったといわれている。源蔵が当時案内役を依頼された際、これを快く引き受け一行を自分の屋敷に案内し、茶その他を接待したが特に徐福に対しては、酒肴をすすめて歓待し我が家の秘蔵娘お辰を隣席せしめ、お酌をさせたのが縁となり、徐福とのロマンスが生まれたと語り伝えられている。

 
  ■ お辰観音

 東千布の観音周地に小さな観音堂に祀られてある。源蔵の娘お辰は徐福と恋仲となったが、恐らく、異国人との結婚についての違和感と身分の相違もあったと思われる。(徐福に中国より渡来した貴人であり、文化の伝達者である。)時折の恋わずらいとなり、病床の身になってしまった。使者が金立山の徐福の下にゆき、その旨を告げたところ、秦より持参した二本の宝剣のうち一本を使者に託して、その剣を自分と思い、機会の来るのを待てと悟したが、日ならずして、病状は悪化し逝去した。「臨終の折に、私を祀らば、諸人の願いを叶えん」と遺言したので、村人がお辰の像を作り祀ったと言われている。勿論、結婚祈願をするとよく成就するとも言われている。

 また、一説には、徐福一行は金立山では、不老不死の薬を発見できず、金立の地をあとに旅立ったとも伝えられている。この折に徐福はお辰の下に、二本の宝剣のうち一本を使者に託し「五年の後に帰る。」と伝言させたが、使者は誤って「五十年後に帰る。」と伝えてしまった。このため、お辰は悲しみのあまり入水したとも伝えられている。この悲恋のお辰を偲んで村人がお辰の像を作り祀った。そして、50年に一度の徐福との再会の祭りを行なうようになったとも伝えられている。

  ■ 銀(白金)土井

 徐福一行が百姓源蔵に案内され、金立山探索のため出発するため金銀財宝を積んだ駄馬隊その他一行が勢揃いをして東に向け(久保泉町村徳永を通り上和泉金立森に行くべく。)隊を組んだ所、また、一説には金銀財宝を、埋めたところとも伝えられている。

  ■ 投げ石

 久保泉町村徳永の西方約三百米、徳永念仏橋の東方百米の水田の中にある幅約二米、長さ四米余り扁平な石で厚さは地中にめりこんでいるため不明。

 徐福一行本隊が千布から白金土井を経て、ここで、水路を寺井津から江湖をさがのぼり舟で荷物を運んで来た支隊が今の石土井で上陸、川の東側を上って来たと伝えられ、その支隊と合流しようと川を渡ろうとする際、(現在の徳永川は昔はこの石の辺りを流れていたらしく、現在の川筋は後世成富兵庫の水利工事によって作られたものと推測される。)川の深さを見定めるため徐福の指図で石を投げ入れたものらしい。この石は、徐福の袖に入れて来た石と伝えられている。

  ■ 薬師丸由来とねばる

 金立町徳永、上九郎、下九郎、を大字薬師丸と呼ぶ。この地名の起りも、寺井津より上って来た支隊の薬物を運ぶ薬師丸が嵐で沈んだ所とされている。

 兵庫町下渕、古賀氏宅を同地の人々は「ねばる」と呼んでいる。そして、この屋敷の南端に石の祠が立っている。この祠には金立社と刻んである。この「ねばる」の少し南に高着堀(たかつくぼり)というのがあるが、徐福の一行が(支隊)この地に来て高着という小高い江湖岸に船を着けて上陸し、一行はしばらくたむろした所である。やがて本隊との合流のため出発を急いだが、部下は旅の疲れでもうしばらくとねばって、滞在を楽しんだ所。こうしたことから、「ねばる」の名があると伝えられている。

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