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参考文献:村岡央麻「佐賀に息づく徐福」
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佐賀市に隣接する千代田町にある貴別当神社には、徐福が有明海に上陸する際に、水先案内人として乗せてきたとされる、琉球王の子祀られています。境内には、その水先案内人が持ってきて植えたというアベマキとイチイガシの古木があります。
2300年前の海岸線に位置し、周囲を掘に囲まれた三角状の船形の地形も徐福伝説を裏付けています。
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金立町徳永に徳永飴屋さんがあります。この徳永飴型は徐福直伝の飴といわれています。ある人が、近くの川で弱っているサギを見つけ家に連れ帰って世話をし、元気になったので放したところ、サギは飛び立とうとせずに手招きをするように羽を振って、川上の方へと道案内した。行き着いたところが妙楽寺で、山中では仙人の姿をした人たちが大勢で何か湯気を立てて薬草を煮ている様子だった。サギは白髪の人を連れてきた。その人はサギを助けてもらったお礼を言い、「方士・徐福」と名乗り、薬草やもち米で作る食物の作り方を教えてくれたそうです。
麦芽糖の水あめを引いて作った飴は、病后の人や、産後の人に人気で、お乳が出ると云われています。
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金立山の西にある富士町古湯温泉は徐福が見つけた温泉と言われています。ある時、湯の神が現れ、「この山中西北の辺りに黄金の霊が湯となって湧き出る所がある。行ってその源をうがち、これを広め多くの人を救われよ」と告げたそうです。徐福は湯が湧き出るのを見つけ、庵を建て、湯守りとなりました。徐福を湯の神として祀る木像が古湯の彦山大権現にあり、今なお地下岩盤から温泉が湧き出ています。
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旱魃がつづくと、御神体を神輿に乗せ、有明海、沖の島まで運ぶと、必ず雨が降るといわれています。金立山を気に入り、お辰との恋もあり、秦に帰りたくないと思っている徐福が、もと来た有明海に運ばれるので、秦に帰されると思い、妨害の為に雨を降らせるとの事らしいのです。
江戸時代には、藩主が一週間、熱心に金立神社に参拝した後、沖行臨したとあります。行臨には浮立が同行しました。他の地方の浮立は、敵を脅かすのが目的に行なわれるのですが、この浮立は、徐福を慰めるために踊りが中心の浮立であったようです。明治時代には4回、昭和14年の大旱魃のときも行なわれましたが、その後の戦争で、金属類を供出したために、浮立の道具がなくなり途絶えてしまいました。2200年大祭後、道具を新調し、浮立の復活を試みているものの、地元の人々の記憶も薄れ、踊りの一部しか残っていません。
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杵島郡有明町にある海童神社の碑文に「(徐福が)竜王崎より舟にのらせ賜ひ寺井津にあがり賜ひ・・・」とあります。
金銀珠玉で飾った船が数十隻沖に来た。しばらく停泊した後、東へ向かって進んでいったという話が伝わっています。
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蓬莱山
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蓬莱山 |
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