弥生の使者「徐福」を語る
 
 
 
歴史愛好家 経歴(平成元年当時のもの)
内藤 大典
内藤 大典
1928年2月28日生

明治工業専門学校(現九州工業大学)を卒業し、昭和24年、西日本新聞社入社。新聞記者として約10年編集関係に勤務。昭和33年、TNCテレビ西日本創業の際、転出。昭和54年、サガテレビに移り、専務、副社長。昭和63年よりアジア文化交流振興協会専務理事として古代史を研究。2005年7月死去。

内藤大典について

 
  「虹を見た」内藤内典 著 より
 
歴史学者・歴史家 経歴(平成元年当時のもの)
梅原 猛 梅原 猛(哲学)
1925年3月20日生

哲学者。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。

哲学者が徐福を解く

樋口 隆康 樋口 隆康
1919年6月1日生

考古学者。学位は文学博士。
京都大学名誉教授。
京都大学文学部教授、泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所所長、シルクロード学研究センター所長、財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長などを歴任した。2015年4月死去・

徐福像を中国古代考古学から探る

福永 光司 福永 光司
1918年7月26日生

中国思想史の研究者、特に老荘思想・道教研究の第一人者であった。京都大学名誉教授。 大分県下毛郡鶴居村出身。大分県立中津中学校卒業、広島高等師範学校を経て、1942年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。2001年12月死去。

徐福渡来と中国思想

金関 恕 金関 恕
1927年11月19日生

考古学者。 1936年、医学博士で考古学の研究にも大きな業績を残した父親金関丈夫の台北帝国大学就任にともない台北に転居。 父親の考古学発掘調査を手伝ってその面白さに魅了される。 1953年、京都大学文学部考古学専攻を卒業。同大学院をへて1956年、奈良国立文化財研究所臨時筆生。 その間、山口県土井ヶ浜遺跡、梶栗浜遺跡など弥生時代の遺跡や奈良県飛鳥寺、大阪市四天王寺の発掘調査に参加。天理大学名誉教授。

吉野ヶ里遺跡発掘調査の意義

陳 舜臣 陳 舜臣
1924年2月18日生

推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。2015年1月死去。

古代の日中往還

 
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