第三章
始皇帝は数百人の偽方士を追放し処刑したが、なお仙術を信じて不老不死の霊薬を求める気持ちはすてなかった。長寿を欲するのは万人の心であり、富と地位を得たるものの欲求は一般に不老長寿に向かうのが常であった。
皇帝が朝懌山の山頂から渤海を眺めたとき、水平線上に三つの島影が現われた。それは山東の海岸でときどき現われる蜃気楼だった。始皇帝は侍臣に命じた。「渤海の中には、蓬莱という神山があり多くの仙人が不老不死の仙丹を練っているという。凡人はこれに近づくことができないが、本物の方士なら行くことができよう。」
徐福を呼べ、ということになった。徐福は処刑をまぬがれた方士の一人で、儒学にも通じ、インド留学もし仏教も学んでいた。
しかも徐福は老荘派の神秘思想と儒学の合理主義を身につけていたので信頼がつよかったと思われる。
史記本紀及列伝の大意は
秦始皇帝、徐福をして海中に神薬を求めしむ、徐福数年を経といへども、曽て求むることを得ず、費頗る多し。されば始皇の譴らんことを恐れて、乃ち詐って曰く、臣海中に於て神に見ゆるに、言て曰く、汝は西皇の使なるや、汝は何をか求むる、答へ曰く年を延べ寿を益す薬を請ることを願ふ、神曰く汝秦王の礼薄し、故に観るといへども取ることを得ずと、即ち臣を従へて東南の方蓬莱山に至る。宮闕を見るに、使へる者あり、銅色にして龍の形、光り上りて天を照らす、是に依りて臣再拝して問て曰く、何を資らしめて献るべきや、海神の曰く会名の男子、若くは振工、百工の事とを以てせば、即ち之を得んと、秦始皇是を聞て大に悦びて振男女三千人をして是に五穀の種々、百工を資らしめて行しむ、徐福平原広沢に止りて終に帰らず。(史記本記には徐市とし、別伝には徐福とせり。)
とあり、「始皇帝も徐福の言に迷はされて、巨万の金を費やしたが、終に薬も手に入らず、徒に利を貧りけしからぬ奴だ」との風評を聞き、徐福の命も危くなった。徐福の事蹟については、史記の記述は統一がとれていない。それは事柄が荒唐無稽に近いので、伝え方がまちまちであったためであろう。恐らく徐福の計画は安住の地を求めるための霊薬探しは口実であったと思われるので、つとめて準備に時間をかけて万全を期したに相違ない。
徐福の組織した遠征隊は大船八十五隻、食糧は勿論、蓬莱島の仙人と住民への贈物、金銀珠玉、五穀の種子、各種の器具、童男童女各千人、航海術に長じた、壮年の夫婦者を加えた大遠征隊と見てよいと思われる。
従って徐福の霊薬探しは、見方によっては大秦帝国の滅亡を予見して大陸を脱出したのではなかろうかと見られる。
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