佐賀で徐福研究が始まった歴史にふれてみたい。 |
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1977年〜78年(昭和52〜53年頃)第1回県民の翼で池田知事中国へ。中国と佐賀の関係と認識が深まる。 |
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1979年(昭和54年)第2回香月知事団長、県民の翼訪中。副島清高氏も参加される。 |
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1980年(昭和55年)に行われる、50年に1度の金立神社2200年大祭のために、調査の必要があり共に調べようと諸富、金立地区の関係者、研究者が集まり打ち合わせをした。これを契機に徐福研究会が発足した。 |
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1981年春に中国の農業研修生を受け入れる。(新華社通信の張煥利氏も同行) |
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1981年11月張煥利氏は副島会員の案内により佐賀の徐福遺跡を見学、その後中国のマスコミに佐賀の徐福を紹介する。
形を整えた徐福研究会は、会長以下役員を決め、毎月1回、公民館などに集まり、研究資料などを持ち寄る。 |
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1987年第1号徐福会報発行。当時の役員名簿によると下記のとおり
会長:宮崎 茂(佐賀県日中友好協会会長)
幹事:副島 清高
研究員:大島克子、緒方益男、岡竜男、園田良秀、原隆一、原田角郎、牧山敏浩、柳川俊二、山田亨
そのほか研究会参加会員約30名ほど。 |
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1989年佐賀市制100周年記念に、佐賀市主催「徐福をさぐる」シンポジウムが行われた。これを契機に、佐賀県徐福会と名称を変えた。
会員は県内の徐福研究者、徐福に関心を持つ県外の人々、県外の徐福研究会会員、佐賀市議会議員の約9割、佐賀市役所課長以上の職員等約200名。会長は木下祺一郎氏(当時佐賀市議会議長、現佐賀地区日中友好協会会長)。事務局長村岡央麻にて発足。
年間事業
・会報(年3回発行予定)・講演会(年に3回程度)・定例会(2ヶ月に1回)・中国からの日中友好および徐福研究者の受け入れ窓口をつとめる。
・年会費3,000円
役員名簿(平成13年度)
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